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今治で暮らす魅力

歴史・文化

日本一の海賊、村上海賊

村上海賊 本拠地 能島
村上海賊 本拠地 能島

今治は、近畿地方と九州地方を結ぶ瀬戸内海航路の中間に位置しており、古来より海上交通の要衝となってきました。戦国時代には、来島村上氏、能島村上氏などの海賊衆が大きな影響力をもち、戦国大名は競って彼らを味方につけ、軍事活動を優位にしようとしました。

理不尽に船を襲い、金品を略奪する「海賊」(パイレーツ)とは対照的に、村上海賊は掟に従って航海の安全を保障し、瀬戸内海の交易・流通の秩序を支える海上活動を生業としていました。その精神が現代の海運・造船産業にも受け継がれているといわれています。「“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島-よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶-」は、平成28年4月に日本遺産に認定されています。

城づくりの名手、藤堂高虎が築いた町

今治城と藤堂高虎像
今治城と藤堂高虎像

今治港からほど近い今治城。関ケ原の戦いで勝利をおさめた藤堂高虎が伊予半国20万石を領し、瀬戸内海に面した海岸に築いた大規模な平城です。慶長7年(1602)に築城を始め、建造物も含めて完成したのは同13年頃と推測されます。海水が引かれた広大な堀や、城内の港として国内最大級の船入を備えた日本屈指の海城でした。

藤堂高虎といえば言わずと知れた築城の名手。今治城は四角を基本とするシンプルな構造とすることで、城内のスペースを広く確保し、工期を短縮して効率的な城づくりを可能しました。また、3重の堀で城を囲み、広い水堀と高い石垣で敵を寄せ付けない構造としたり、本丸に向かう道津時には枡形を設けるなど、独自の工夫や仕掛けがされています。

高虎は築城と同時に城下町の整備も進め、現在の今治の原形を作り上げたといわれています。城郭と町方は、外堀で区分され、町の中央にあたる辰ノ口から本町をおき、海側へは、風早町、中浜町、片原町、内陸部に米屋町、室屋町を配しました。現在でも当時の町名や町割りにその名残をとどめています。

塩田で栄えた港町、波止浜

波止浜の造船所

江戸時代後期、国内の塩の約9割は瀬戸内海の塩田で生産されていたそうです。入浜式塩田と呼ばれる製塩法に最適な立地とされた波止浜は、幕末には全国有数の塩田産地として知られるようになりました。波止浜は北前船を含む諸国の塩船がたくさん寄港する商業港となり大いに栄えました。

交易が盛んになってくると、船の修理や建造が必要になってきます。そのため、各地で船大工が育ち、同時に防波堤の工事などの港湾整備も行われました。昭和に入り塩田が廃止されたのち、波止浜地域を中心に船舶修繕から造船業が発展しました。また、来島海峡は瀬戸内海でも有数の漁場であり、漁業が発達したことに加えて、操船技術の蓄積により海運業が発達したことも背景になっています。現在、世界有数の海事都市となった今治の礎を築いたのは、実は「塩」だったのです。

伝統工芸 桜井漆器

桜井漆器の起源は、江戸時代までさかのぼります。当時の今治市桜井地方は九州地方と本州西部をつなぐ中間地点であったことから、年貢米や商品を運ぶ廻船業者など多くの商業船が訪れ、海運での商業活動が発展してました。その廻船業者の中で、漆器を中心商品として扱っていた「椀船行商」の人たちが和歌山県黒江の漆工芸を桜井地方でも作りたいと考え、製造が始まったことが桜井漆器産業の始まりと伝えられています。

製造する中で、桜井漆器を代表する「櫛指法」という独自技法が天保年間に開発されました。重箱の角部分が破損することが多いという課題を改善すべく、角の部分を櫛型に加工し、凹凸部分がぴったりと合わさるように接着することで、壊れにくい重箱を開発したのです。また紀州のほかに、輪島塗で有名な石川県から「蒔絵」や、漆器の表面に金粉を入れ込んで削る「沈金」などの漆工芸技法も取り入れ、独自の進化を遂げていきました。

時代の変化から、桜井漆器も影響を受け規模を縮小していきましたが、今日まで技術が継承され、伝統産業として息づいています。近年では日常生活で使用できる製品が多く製造されており、普段使いできる漆器製品も多く販売されており、今でも桜井漆器は地元の人たちにとって身近な存在です。

神の島、大三島に鎮座する大山祇神社

大山祇神社
大山祇神社

大三島にある「大山祇神社」は、日本総鎮守と呼ばれ、全国に一万社あまりの分社を持つ歴史ある神社です。約2600年前、神武天皇御東征にさきがけて、御祭神、大山積大神の子孫小千命が先駆者として伊予二名国(四国)に渡り瀬戸内海の治安を司どっていたとき、芸予海峡の要衡である御島(大三島)を神地と定め鎮祭したことにはじまると伝えられます。御祭神は、大山積大神で天照大神の兄神にあたります。

本殿、拝殿、宝篋印塔は重要文化財に指定され、隣接する宝物館には国宝を含む数多くの重要文化財を収蔵しています。境内中央には樹齢約2,600年の神木である大楠が鎮座しており、神社内の楠群は日本最古の原始林社叢の楠群として、昭和26年に国の天然記念物に指定されています。社号標(大日本総鎮守大山祇神社)の社号石は、初代内閣総理大臣の伊藤博文が明治42年3月22日参拝記念に書いたものです。水軍の武将たちの信仰も集め、大山祇神社の神紋「折敷に三文字」を河野氏や来島村上氏が家紋にしています。

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