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友人の実家を受け継ぎ、自然と共に暮らす…宮坂大智さん・ルルさん

友人の実家を受け継ぎ、自然と共に暮らす…宮坂大智さん・ルルさん

宮坂 大智(みやさか だいち) 妻・ルル、愛犬・たぷり
村おこしNPO法人ECOFF 代表/2024年3月移住/東京都出身

学生時代から離島や農山漁村での活動に関わり、2011年にECOFFを設立。台湾の離島・ポンフーでの暮らしを経て今治市玉川町に移住し、里山の古民家で、自給的な農や山の手入れを実践しながら、「50年後も続く暮らし」を次世代につなぐ活動に取り組む。

 「地域と人をつなぐ仕事がしたい」そんな思いで立ち上げた村おこしNPO法人ECOFF。都市で暮らす人と田舎で暮らす人をつなぎ、農林漁村でのボランティア活動を通して、日本の地方を元気にする活動を続けています。そんな宮坂さんが最終的に選んだ暮らしの場所は、今治。その背景や今の暮らしについて、話を聞きました。

移住のきっかけ

 僕は東京出身で、三代続く都会育ち。いわゆる「田舎」はありません。都市の便利さを享受する一方で、現代の暮らしがいかに脆いインフラの上に成り立っているか。そのバランスの危うさを、都心にいるからこそ強く感じていました。

 そんな課題意識もあって、学生時代から離島での活動に関わってきました。そこで、何百年も受け継がれてきた知恵のもとで、人と自然が共に生きていることを強く感じたんです。

 地域の豊かさに触れるなかで、「都会に暮らす人も関われる入り口をつくれたら、地域のことを『自分ごと』として実感できる体験を届けられるんじゃないか」と、そう思うようになりました。

 とはいいながらも大学卒業後、オーストラリアでのワーキングホリデーを経て帰国したものの、選挙事務所の手伝いや添乗員の仕事など、当時は正直フラフラしていました。

 けれど、その迷いのなかで「自分のフィールドをしっかり持ちたい」という気持ちが少しずつ強くなり、2011年に村おこしNPO「ECOFF(エコフ)」を立ち上げました。

 ECOFFでは、主に10日間の離島や農山漁村での住み込み型のボランティア活動を提供しています。活動の中心は日本国内ですが、コロナ前までは台湾やベトナムでもプログラムを展開していました。

 活動の中で台湾人の妻・ルルさんと出会ったこともあり、僕らは今治に来るまで、台湾の離島・澎湖(ポンフー)が暮らしの拠点でした。ガイドや民宿をしながら、「この島でずっと暮らすんだろうな」と、どこかで思っていたんです。

 けれど、コロナ禍で状況は一変。島から出ることはままならず、台湾と中国の関係や将来的なリスクについても、現実的に考えざるを得なくなりました。

 日本に帰国し、「次はどこへ行こうか」。そう考えていた時、母から聞いたのが今治にある友人の実家の話でした。

 ポンフーでの暮らしで、海という自然の豊かさを感じるのと同時に、流れ着くゴミや汚染の問題にも気づかされた僕ら。海の問題解決には、山林の適切な管理が欠かせない。だからこそ、次は山から始まる暮らしを自分自身で実践したい。そんなタイミングで出会ったこの場所は、まさに「宝の山」に見えました。山があって、田畑があって、古いけれどしっかりした家がある。ここでなら、自分が理想とする自立した暮らしを、一から積み上げていける。そう思いました。

仕事のこと

 今は、全国各地にいる「世話人さん」たちとボランティアの受け入れ調整をしたり、企画を練ったりと、ECOFFの仕事をリモートでこなしています。その一方で、自分自身も「自給自足」をベースにした暮らしをゼロから実践しているところです。

 今年は、人生で初めて本格的に米作りと麦作りに挑戦しました。機械も使わず、化学肥料も入れない自然農法です。正直に言うと、自分たちが食べる分で精いっぱいです。機械を入れて、化成肥料を使えば、たぶん全然違う。でも、エコフを始めたきっかけ自体が、地域の循環を残したいという思い。そう考えると、自然農法でやるしかないんですよね。

 この1年で、その難しさを痛感しました。お米を作るのももちろん大変なんですが、実は、収穫してからが本番です。脱穀や選 別の作業が、本当にきつい。麦は、米以上に大変でした。

 地域の方が「倉庫に唐箕が眠っとるぞ」と声をかけてくれたんですけど、見てみると脚が傷んでいて、どうしようかと思っていたら、たまたま四万十から遊びに来ていた友達が、「俺、大工の孫やけん」って言って、一緒に直してくれて。そうやって、人に助けられながら、なんとかやっています。

 とはいえ、もちろん生きていくための「現金収入」も必要です。来年は、台湾のレシピと地元の農作物を掛け合わせたお菓子の製造販売など、少しずつ形にしていけたらと考えているところです。

住まいのこと

 住んでいるのは、友人の曽祖父が暮らしていた築60年以上の古民家です。母屋と離れの二棟があるんですけど、離れはもともと牛小屋だった場所を、先代がリフォームして建て直したもの。母屋の方もキッチンなどは改修されていました。

 ただ、床下をのぞいてみると、使われている材の質がまったく違うんです。増改築した部分も便利でいいけれど、もともとの母屋の作りを見ると「昔の家は、やっぱりこんなにもしっかりしているんだな」と改めて実感しますね。

 でもこの家、実は建物が未登記だったんです。移住した当初、築年数を証明するために「家が建ったときに物心ついていた人の証言が必要だ」と言われて。越してきたばかりでまだ右も左もわからない時期なのに、地元の方々に実印をもらいに回ったり、車で一緒に役場まで行ってもらったり……。他人の僕のためにそこまでしていただくのは本当に心苦しかったのですが、最初はそういった事務手続きだけで、かなりバタバタしましたね。

 家は、基本的にセルフリノベーションです。大工さんじゃないと無理なところはお願いしつつ、漆喰塗りなんかは自分たちでやっています。

 知り合いから「古民家の寒さを、まず一回ちゃんと味わっておいた方がいいよ」なんて言われたもんだから、1年目はあえて断熱などの手を入れずに過ごしています。正直、めちゃくちゃ寒いです(笑)。来年は薪ストーブを入れる予定で、寝室やキッチンまで暖気が回るんじゃないかと、今から期待しています。

 こうやって、少しずつ手を入れながら暮らしていけるのも、古民家ならではの楽しさですね。


 この家と一緒に、江戸時代から続く屋号や、先代が大切に手入れしてきた山や田畑も引き継ぎました。単に建物という「不動産」を手に入れたというより、ここでずっと続いてきた「暮らしそのもの」を預かっているような感覚なんです。そのバトンは、これからも大事にしていきたいですね。

 来年以降は、所有している約6ヘクタールの山に入って、冬場は自伐林業にも本格的に取り組んでいきたいと思っています。

今治暮らしで感じること

 今治、特に玉川町での暮らしは、一言で言うと「すごく、ちょうどいい」です。

 国道から車で5分も走れば、もう静かな里山の風景が広がります。でも、市街地までは15分ほど。動物病院もあるし、温泉にも行ける。都会的な便利さを手放さずに、必要なときだけしっかり田舎も満喫できる。この“中途半端さ”が、実はすごく大事だと思っています。

 移住って、どうしても理想が先行しがちです。でも夫婦であったとしても価値観が完全に同じとは限らない中で、どちらかが無理をしなくていい環境って、長く暮らすうえでは重要なんですよね。玉川エリアは、そのバランスが本当に絶妙だと感じています。

 人との距離感もちょうどいい。この辺りは、いわゆる昔ながらの農家さんばかりじゃなくて、外で働いている人も多い地域です。だからか、田舎にありがちな過度な干渉があまりなくて、全体的にさっぱりしている印象があります。

 一方で、困ったときには、ちゃんと手を差し伸べてくれる。移住してすぐの頃、誰に挨拶に行けばいいのか分からずにいたときも、総代さんが「まずはここに行ってみたら」と丁寧につないでくれました。お菓子を持って挨拶に回ったんですが、どの人も本当に優しくて、「ああ、ここならやっていけそうだな」と、自然に思えたのを覚えています。

 里山の資源の豊かさにも、日々驚かされています。ポンフーのような水不足に悩む島で暮らしていたからこそ、山から安定して水が流れてくることのありがたさを、強く実感します。

 山菜が採れて、ヒノキやスギといった木材資源も身近にある。見る人によっては、ただの山に見えるかもしれませんが、僕にはまさに「宝の山」です。人と自然の距離が近くて、手をかければちゃんと応えてくれる。里山には、まだまだ可能性があると感じています。

未来のこと

 「50年後も、この場所は大丈夫だ」と思える状態を残せるように、動いていきたいですね。

 今、日本ではコンパクトシティ化が進んでいます。効率を考えれば、確かに合理的な面もある。でも、中山間地の管理が放棄されると、その影響は必ず下流に出ます。

 たとえば、山の池や水路の草刈り。何十年も続けてきたおじいちゃんたちがいます。その池があるおかげで、水は調整され、下流の集落や市街地が守られている。でも、その恩恵はほとんど意識されない。

 「市街地が洪水に遭わずに済んでいるのは、上流で誰かが地道に管理を続けているからなんだ」

 それが伝わらないまま、中山間地が切り捨てられていくことには、強い違和感があります。近年増えている豪雨災害や獣害も、突き詰めれば、山や里山を管理する人が減った結果だと思っています。本来、家を建てるべきでない場所に住宅が増え、被害が出る構造も同じです。

 これから中山間地の人口を大きく増やすのは、ほぼ不可能でしょう。それが日本の現実です。だからといって、すべてを都市近郊に集約してしまえば、地域ごとの多様性は失われてしまう。効率だけを追えば、確かにうまくいくように見えるけれど、何かが起きたとき、その脆さが一気に表に出ると思っています。

 まずは自分たちの暮らしの土台を固めたいと思っていて、狩猟免許を取ることや、山の道を自分たちでつくることにも、これから挑戦していきたいと思っています。そうやって現場で得た知見を、またECOFFのプログラムに還元していく。それが、今の僕にできる役割だと考えています。

 ECOFFには、年間で何百人もの学生や参加者が関わります。その人たちに、「代表自身が、里山でこういう暮らしを実践している」という姿を見せること。それだけでも、伝わるものは確実にあると思っています。

 ひっそりと、でも着実に。

 この土地に根を張りながら、50年後につながる選択肢を、次の世代に手渡していきたいですね。

取材日:2025年11月(掲載の情報は取材日時点のものです)

移住Q&A 先輩に聞いてみました

Q 今治はどんなところ?

A 正直に言うと、「中途半端」なところだと思います。でも、その中途半端さが、実はすごく強みでもあるんですよね。
都会すぎないけど、田舎すぎない。財政的にも比較的安定していて、「消滅可能性自治体」からも外れている。今治は簡単になくならない、将来性のある場所だと思っています。
本州とも橋でつながっているし、大分方面へフェリーもある。松山も近く、空港へのアクセスも悪くない。東京から船と高速を組み合わせて来る人もいるくらいで、意外と移動の自由度が高いんです。
暮らしの面でも、山・海・温泉・市街地がすべて15分圏内。食べ物も豊かで、愛媛産のものだけで日常生活がかなり成り立つ。 島の魅力もありますが、里山には水、畑、山菜、田んぼがそろっていて、資源の厚みという意味では今治の里山はかなり恵まれていると感じています。

Q 大変だったことは?

A 「農業」で生計を立てるのは、正直簡単ではありません。
農地は区画整理されていない場所も多く、傾斜もきつい。みかんには獣害もある。
「観光」も、橋でつながっていて便利そうに見える一方で、通行料がかかる。島暮らしは憧れもありますが、潮風で何でも錆びるし、海ゴミや環境負荷も日常的に目に入る。きれいごとだけでは語れない現実もあります。
古民家や山付き物件についても、「家だけ欲しい」「山はいらない」という考え方だと、なかなかうまくいかない。土地や山は、何代もかけて守られてきた背景があって、そこを丸ごと引き受ける覚悟がないと、後で大変になることもあると思います。

移住を考えている方へメッセージをお願いします!

移住を考えるなら、「今の便利さ」だけじゃなくて、50年後にその場所がどうなっているかまで想像してみてほしいです。
今治は、派手さはないけれど、将来にわたって暮らしが続いていく現実的な条件がそろっている場所だと思います。リモートワークをしながら自然と関わる暮らしもできるし、いざとなれば仕事の選択肢もある。
それから、もし物件に山や畑が付いていたら、最初から「いらない」と切り捨てないでほしい。その土地にはストーリーがあって、きちんと向き合えば、自分たちにとっての大きな資産になる可能性があります。
「住む」だけじゃなく、「継ぐ」という視点を持つことで、今治や里山での暮らしは、もっと面白く、意味のあるものになるんじゃないかなと思っています。

-先輩移住者の声
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